社長コラム Vol.2 日本をもう一度、世界中から魅了される国にしたい

私は昭和 40 年(1965 年)生まれの 57 歳。
社会人になって 40 年近くの間、日本経済の浮き沈みを目の当たりにしてきました。

高度経済成長期の終盤に子ども時代を過ごした私は、中学時代は野球に明け暮れており、百数十人の野球部で中一からレギュラー、ショートで四番を務めていました。
地元・横浜の公立高校では熱き血潮が燃えたぎる青春の日々を送り、高校卒業後の進路を考える時に「外資系企業で働きたい!」と、富士コカ・コーラボトリング株式会社の門を叩きました。
がむしゃらに働いて地区で 2 位の営業成績を納め、5 年間で退職、その後 2 年間不動産会社に勤めました。バブルが弾けたのはその頃です。
25 歳の時に同じ歳のリストの創業者に出会い、オーナーの右腕として総合不動産企業のトップマネジメントを勤め上げました。

リストの創業期はバブル崩壊期とほぼ重なります。地価が下がり、企業の倒産や金融市場の混乱などが続き、「失われた 20 年」へと突入していきます。
リーマン・ショックを契機に世界全体が金融危機に陥り、日本の GDP(経済成長率)も低空飛行を続けます。
2010 年代の東日本大震災、2020 年代からのコロナ禍と、「失われた 20 年」が「失われた 30 年」になり、気づいたら日本企業のイノベーションも衰退していることに気づいて愕然としました。

リストでの後半 10 年間は、企業や富裕層、海外向けに事業を拡大していました。その中で、私なりに日本がどういう国なのかを客観視して見ていたのが独立の根っこにあります。
私が青年期に見ていた日本では、日本人は世界に誇れるような発明を次々に行い、トップクラスの技術や研究で世界をリードし、世界最大の経済大国と言える国でした。そこから今は真っ逆さま、給与水準も下がり、優秀な人材は海外に流出し、若者の成長意欲が全体的に減退しているように感じます。
社会全体にはびこる「器用貧乏」の風潮が少子化につながっているようにも感じますし、何より新しいことに挑戦する、イノベーションを起こす風潮や、パッションを持って現状を打破していく、その気概が日本経済から失われていることに危機意識を持っています。

私の残りの人生を懸けてなすべきこと。
それが、会社のステートメントでもある「不動産のポテンシャルを最大限に引き出し、人生に希望を見出す人を一人でも多くしていきたい」ということです。結果的に日本経済に活力を与え、誰もがイキイキと希望を持って生きられるような国にする。人生の最後に、そういう景色を見たい。その時に、自分自身に「よくやった」と言えるようになりたいと思っています。

to be continued…

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